By Aidan T.
By Aidan T.

家庭で話される母語は、子供のアイデンティティを形成する大切な支えです。

 

私は行動分析を学ぶ前に、社会言語学を大学院で学びました。文化と言語の違いは、世界に多くの紛争、対立、分離、富と権力の不均衡、差別、などを起こさせ る要因であるかのように主張する人々がいます。しかし、母語を否定して国家や多数民族側の言語や文化を強制することこそ、逆にこのような望ましくない状況 を生み出すのです。「歴史は勝者によって書かれる」ということは、少数者にとっては現実であり、同化政策により母語を否定され、セミリンガリズムという、 アイデンティティのよりどころのない、いづれの言語も機能的に習得できないまま成人に達してしまった民や人々が、今日も世界には多く存在しています。先住 民族と呼ばれる人々は、ほとんどがその状況を強いられてきています。

 

カナダのトロント大学で教鞭をとる世界的に著名なバイリンガリズムの研究家であるジム・カミンズ博士は、バイリンガリズムを subtractive bilingualism(減法的バイリンガリズム) とadditive bilingualism (付加的バイリンガリズム)との2種類に別けて比較しました。前者は植民地主義に伴う、母語否定のバイリンガリズムで、この場合3代で母語がおおよそ消失 することが知られています。つまり、英語や日本語しか話さない、モノリンガルになってしまうか、もしくはセミリンガルでとどまってしまうのです。ですから これは真の意味でバイリンガリズムとは言えません。

 

これと比べて後者の場合、母語を肯定し、積極的に子供の教育に取り入れ、2つの言語を対等に機能させるように、環境を調節して行きます。カナダの場合、先 ず公用語が英語とフランス語なので、州によっては幼稚園からも両方の言葉で教育が行われます。また、多くの移民や先住民族の言葉や文化も、日本では考えら れないほど、公の教育の場やコミュニティで紹介され、共有されています。ですからバイリンガリズムは、「当たり前」なのです。またアメリカでも、近年、ス ペイン語に対する公的な支援が拡大しています。

 

私は自分の息子が4歳のときに自閉症の診断を「呑み込み」ました。そのときにある医師から言われた言葉を忘れることはできません。「あなたの息子さんは、 2ヶ国語を覚えることは無理でしょう。英語だけの生活を覚悟してください」と。しかし私はそのときポスドクの研究員をしており、まさに少数民族の母語と文 化を回復させようと、社会言語学者としての道を歩みだしたばかりだったのです。何と言う運命の悪戯か、と当時はショックでした。そうして、孤独な中、「た とえ自閉症でも日本語を教えることは、必ずできるはず」という想いを必死で打ち消し、英語オンリーの生活と介入治療を選んでしまったのです。

 

そうして、やがて息子は言葉も話しはじめ、読み書きもできるようになり、それなりに集団行動もできるように、成長して行きました。小学校の3年生になった 時、フランス語の授業が本格的に始まりました。一学期の初めに開かれたIEP(個別教育計画)のミーティングの際に、校長先生から「フランス語は、難しい かもしれないけど、授業に参加させますか?」と尋ねられ、「様子を見ながら、決めましょう」と答えました。それから3ヶ月ほど経ったある日、校長先生が目 をキラキラさせて、こういいました。「あなたの息子さん、フランス語を、まるで飴を食べるみたいに、吸収しているわよ!」 その言葉を聴いてから、私には、それまで打ち消していた母語を維持させることが可能なのではないか、という想いが蘇ってくると同時に、「ああ、やっぱりあ きらめないで日本語も教えてあげたら良かった」と後悔するようになりました。

 

やがて私は行動コンサルタントとして、自閉症児を持つご家族をサポートするようになりました。周りに多くの優秀な、経験豊かな同僚に恵まれ、素晴らしい職 場で働くことができました。しかし、残念ながらバイリンガル教育を障がい児にも提供するという考えを、真剣に受け止め、実践しようとする仲間はほとんどい ませんでした。私は何故多くの専門家がこのような「偏見」があるのか、理解できず、あるとき思い切ってジム・カミンズ先生にメールを出して、問いをぶつけ ました。見ず知らずの私から来た突然のメールに、カミンズ先生は、丁寧に返信をくださいました。彼は自分の考えをこのように述べておられます:「障害児の 教育の専門家や臨床に携わるほとんどの人が、バイリンガリズムの経験を自分が持たないか、またはその分野でいかに多くの研究がされてきているかということ を、知らないんですよ。」そして、彼はアメリカで今、このことを実践しようとしている仲間がいるから、と紹介してくださいました。

 

母語を選択し、維持するためのバイリンガル教育は、一部の特権階級の人たちのためのものではありません。それは全ての子供たちとその親、また民族の持つ基 本的人権です。私達大人には、障がいの有無にかかわらず、子供たちにそれを教える機会を十分に与え続ける義務が課されていると思います。

 

私事ばかり述べて恐縮ですが、自閉症の集中早期介入治療サービスを提供するようになってから、優れた日本語の教師や言語療法士の方々との出会いがありまし た。全てタイミングよく用意されていたような、幸運な状態からバイリンガル治療を奉仕することができました。ティームのメンバーに加わってくださったス タッフは、言語学の基礎もしっかりと身に付けられている方々です。加えて、どんどん伸びて行くお子さんを見ながら、自分もセラピストになれる、とめきめき 成長していったお父さんやお母さんたちの、大きな愛と努力。そういった大きな知識と人とのつながりの輪の一部として、ABAは、まさにバイリンガル教育を 成功させるための、大きな役割を担っているのではないかと、しみじみ思います。